猫との時間

 今日2月22日は猫の日です。
 両親がそろって猫嫌いのため、今日まで家で猫を飼ったことはないのですが、その代わり、実家を離れて東京の大学に通っていた頃は、よく夜に道端で猫と遊んでいました。都市近郊ということで町自体が夜更かしだったし、兄弟と同居していたため遅い外出には同行してもらえたし、夜行性の猫とつきあう好条件が、当時は何かとそろっていました。
 4年も猫と遊びまわると、1つくらいは面白い体験もあって、例えば、一度猫の集会らしきものに参加したことがあります。
 当時住んでいたアパートは、すぐ脇が細い路地になっており、そこは橙色のとら猫が縄張りにしていました。毎日通るうちに、私はその猫と顔見知りになり、一緒に遊ぶようになりました。遊ぶと言っても地味なもので、猫は私の体の周りをくるくる回ったり、髪の先を嗅いだり。私の方は体を撫でてやったり、手を齧らせたり、ただそんなことばかりしていたのでしたが。(猫がどんな遊びをするのか無知だったので仕方がないのですが、それにしてもおもちゃなどを持って行く発想がなかったのが悔やまれます)
 ある日、夜の8時頃に、私はアパートの部屋に戻ろうとして路地を通りました。すると普段は件のとら猫以外には猫を見かけないその路地に、その日に限って数匹の猫が一緒に座っているのに気がつきました。不思議に思いながらも、いつものようにとら猫にあいさつして、背中やお腹を撫でてやっていたのですが、そうするうち、目の前で猫の数がだんだん増えて行きました。垣根の陰から、車の下から、塀を乗り越えて、次から次へと猫の顔が現れて、ほんの数分のうちに、その細い路地は文字どおり猫でいっぱいになりました。だいたい20匹以上はいたと思います。
 しかも嬉しいことに、集まった猫はみな、人懐こくおおらかな子ばかりでした。私を怪しみもせず、むしろ珍しかったのか次々とそばに寄って来ました。匂いを嗅いだり、頭で突いて来たり、尻尾を絡ませたり、体をすり寄せてにおいづけをしたり……。柔らかい体に30分ばかり愉しくもみくちゃにされた後、私は帰路についたのでした。
 あれは、いわゆる「猫の集会」だったのでは、と気がついたのは、つい近年、ネットを通して猫に関する知識をいろいろと得てからのことです。
 「人の目に触れないように開かれる」「集会を見かけたら知らん顔で立ち去らないといけない」「飼っている猫が交じっていても呼んではいけない」などなど、オカルティックな噂もつきまとう「猫の集会」ですが、実際はそんな怪しげなものではなく、単なる親睦会に近いものなのだそうです。地域に住む猫が時々集まって、顔合わせというか、メンバーを確認し合う催しで、夕方から夜中にかけて、ちょっとした道路や広場など、大勢で集まることのできるスペースで開かれます。(しかし動物がそうした集まりを持つこと自体、不思議ではあります)
 人の目を避ける、ということも特にないようなのですが、とはいえ、あの時せっかくの集会に人間が参加してしまったのは、猫たちにとってはどんなものだったのでしょう。しかし先に書いたように、猫の方は私の存在を面白がりこそすれ、特に迷惑がってはいなかったように思います。そういえば、母猫が子供を集会に連れて行ってお披露目すると、その子は地域のメンバーとして認識されるという話もありました。そう考えると、参加者たちが警戒しなかったのは、あの橙色のとら猫と私が知り合いであることが分かったからでしょうか。地域の「猫戸籍」に、私は猫の仲間として登録されたのかもしれません。
 猫と遊ぶのはコンビニなどの行き帰りが多かったです。夜道を歩いていると、猫に呼ばれることがよくありました。どうやら、商店なども閉まり、人通りも少なくなってしまうと猫も退屈になって、誰かが遊んでくれるのを待っているらしいのです。まだ人通りの活発な明るいうちは、こういうことはあまりありませんでした。
 塀の上や物陰から
「ニャー」
 と可愛く鳴く声がしたら、それは猫が遊んでもらおうと呼んでいるのです。警戒している猫は鳴き声を立てません。じっと押し黙って、多分すぐに逃げ出せるように、目を大きく見開いてこちらを凝視します。目のことを言えば、かまってもらいたがっている時はむしろ、猫はこちらをあまり見ないようです。目を細めてあちこちを見回したり、一見いかにも興味がなさそうな様子をしつつ、そのくせちらちらと視線を送ってこちらをしきりと気にします。その様子は、家にお客さんが来た時の小さな子供にそっくりです。自分から出て行くのが恥ずかしいので、物陰から覗いて声をかけてくれるのを待っている、そんな姿が彷彿とします。
 一般に、猫には、気ままで自由と孤独を好み、その分人への情は薄い、そんなイメージがあります。「犬は人に、猫は家に付く」とか「猫は3日で恩を忘れる」という言葉があるのはそのイメージのためでしょう。しかし観察していると、犬よりも猫の方がむしろ、甘えたがりで人に寄りたがる性格が強いように思える時もあります(もちろん、良し悪しや優劣の話ではありません。私は犬も大好きです)。猫がクールに見えるとしたら、それはただ表現が控えめなために感情が人に伝わりづらいということに過ぎないように思われます。
 猫が遊んで欲しがっているのは分かりましたが、しかし、近づくにはまだ慎重にならなくてはいけません。猫は、普段人間など眼中にない雰囲気で悠々としているくせに、実は私たちが思う以上に怖がりです。人をまるで怖がらない子もいますが、たいていの猫はいきなり近づこうとすると、たとえこちらに害意がなくても、怯えてしまいます。猫によっては、びっくりして逃げてしまうこともあります。せっかくのチャンスを逃さないために、猫を安心させる良い方法があります。まずその場に立ち止まって、猫の声をまねて
「ニャー」
 と鳴き返すのです。細い、優しい声で。猫が応えて
「ニャー」
 と返して来たら、安心した証拠です。待っていると猫の方から寄って来てくれます。一度ではだめでも、何度か優しく鳴きかけてあげていると、きっと近づいて来てくれるはずです。鳴き声を立てず、でも何となくこちらに興味がありそうにしている猫(こういう子はさらに人見知りなのでしょう)を見かけた時も、こちらから
「ニャー」
 と声をかけてあげると安心して来てくれることが多いです。「おいで、おいで」と言ったり、舌を鳴らしたりするよりも、距離を縮めるにはずっと効果的です。
 猫も簡単な言語を持っていると言います。しかし、たとえ猫言語を知らなくても、声音や、声のトーンだけで、猫と意思の疎通をはかることは可能なのです。考えてみると、人との会話の時、私たちは純粋に言葉だけではなく、声の音色や話し方のニュアンスも使って、会話をします。動物とのコミュニケーションでも、それは変わらないのだと思います。複雑な意思疎通はできませんが、ただ感情、それもポジティブな感情を伝え合うだけの、原初的で素朴なコミュニケーションには、喉で発する「音色」があれば充分なのです。これは猫とのつき合いの中で見つけた、一番大きな驚きと喜びでした。そして動物に対する理解を深める助けにもなった、大切な経験だったように思います。
(2011/2/22)

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