水族館の孤独

 水族館という場所が好きです。
 展示されている様々の水生生物を見るのももちろん楽しいのですが、しかし私の愛好はそれよりも、むしろ水族館という空間そのものに向いているように思います。
 建物の中はどこもライトが落とされて薄暗く、そしてどこもしんと静かです。水の底のようにひんやりと暗く静まった中に、水槽のガラスだけが窓のように、明かりを灯して点々と並んで行きます。
 近寄って、水槽を覗き込む。多種多様の魚が群れ遊ぶ大水槽よりも、私は、1種類か2種類だけの魚が入れられている、こぢんまりした小水槽に、より魅力を感じます。わずか数十センチ四方に凝縮された海。しかし、砂を敷き、岩を置き、サンゴや海藻を植えて海を装っても、ガラスのように透きとおった水と、太陽よりも明るいライトに満ちたその不自然な空間は、生命の源である海を模したというよりは、海の形を借りただけの、実際はどこでもない仮想空間であり、むしろ無機的な水のオブジェと呼ぶ方が適切に思われます。
 壁にはめ込まれた小さな海のオブジェには、外から入って来るものもなく、また内から出て行くものもありません。箱庭のような、ドールハウスのような、人形劇の舞台のような、小さい、しかし完結した世界。外世界との関係を絶って、内世界だけで充足した永久機関。そしてその明るく透明な小宇宙を泳ぐ魚たちも、もはや生物であることをやめ、自らもまた一個のオブジェになって、永遠の時間を泳いで行きます。じっと眺めていると、こちらも水槽の中の小さな世界に閉じ込められて、時間が止まってしまいそうな、妖しい美しさがあります。
 水族館は、断絶と孤立の空間です。壁の中に住む魚たちは互いに隣人の存在を知ることはありません。そして水槽を覗き込む入場客の姿を認めても、所詮別世界に住む者同士、そこに何かしらの交流が生まれることはありません。建物の中には数えきれないほどの生命が集まっていながら、その生命同士の結びつきはほとんど皆無なのです。休日ともなると、水族館は大抵、家族連れで混み合いますが、にもかかわらず動物園のようなにぎやかさがなく、どこか静寂の余韻を引きずっているのは、水族館の持つ本質的な孤独のためでしょうか。
 水族館は町の中にぽっかり浮かんだ別世界です。そしてその別世界の中には孤独な、しかし穏やかな時間が封じ込められています。心安らかな孤独、それが私が水族館を愛するゆえんです。
(2011/2/10)


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