小 説 の 部 屋

管理人の自作小説を置いています。長さは、1ページあたり400字詰め10枚程度です。(例:5ページ→50枚)

(注・陶晴賢の名前表記について……晴賢は、義隆に仕えた間は「隆房」と名乗っていました。「晴賢」の名は、のちに義長を主に戴いてから改名したものです。作中ではそれに倣い、義隆時代を扱った作品では隆房、義長時代のものは晴賢と名前を表記しています。)

 

― I n d e x ―
雪の灯(ともし) 目次

建保七年(1219年)一月二十七日、将軍源実朝は、鶴岡八幡宮の境内で甥の公暁に討たれ、落命した。
雪の中の惨劇は何故起こらねばならなかったか……。公暁、実朝、北条政子、三人の目で追う、将軍暗殺事件

鍍金の島(ときんのしま) 目次 
(完結)
文武二年(698年)、飛鳥の朝廷に、対馬で砂金が発見されたとの報がもたらされた。
日本国で初めての、金の産出であった。
思いがけぬ吉事に都は沸き、そして金を精錬し朝廷に献上するため、対馬に一人の金職人が遣わされた。
名は、三田五瀬。雑戸という、奴婢に等しい身分であったと史書は伝える。
賤しい職人に過ぎない彼の名が歴史に刻まれることとなったその裏には、飛鳥史の影と、悲劇があった……

月の手枕
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする……
「忍ぶ恋」を妖艶に歌い上げた鎌倉時代の女流歌人、式子内親王。秋の長夜、ふと夢を破られた内親王は、美しくも寂しい月影に誘われるまま、ひとり恋の情感を心の内に追う  あとがき

あざみ野 
目次

孝徳帝と対立し、重臣らと共に離反をはかった皇太子・中大兄皇子。
帝と袂を別ち難波の都を去った彼の傍らには、妹であり、孝徳帝の皇后であったはずの間人皇女の姿があった。
指弾も、誹謗も、そして近親相姦の穢れを負う限り皇位には就けないことも覚悟の上で、二人は手をたずさえ、共に生きた……。
中大兄皇子が晩年まで即位しなかったその背景には、実妹・間人皇女との禁忌の恋があった、という説に基づいて書いた作品です

さみだれがみ 1 2 3 4 5 6 7 8   
五月雨の夜、陶子(とうこ)は胸に思いを秘めながら、いとしい人の髪を梳いた。
そしてその人、大内義弘もまた、陶子の髪を梳いてくれた。
少女時代をほんの束の間、彩った恋は、たとえ幼くとも、陶子には生涯の恋であった。
南北朝時代の武将、大内義弘を巡る、ささやかな恋物語   
あとがき

人皮装本 1 2 3 4
「……お主は人皮装本というものを聞いたことがあるか」
大内義隆が魅せられた一冊の本、それは表紙革に人の皮を用いたという、世にも恐ろしい品であった。
弘中隆包からその話を聞いて陶隆房は、主と自らの運命に不吉な暗いものを感じる。
そして数ヶ月ののち、大寧寺の変は起こった――
(少しですがグロテスクな描写を含みます)   
あとがき

勝山春記 1 2 3 4
実質的指導者であった陶晴賢を厳島で失った大内軍は、各地で毛利に連敗を喫し、ついには都山口をも追われて長門勝山城へ籠城する。大内家最後の当主、義長の小姓であった杉民部が物語る、大内家の没落   
あとがき

紅珊瑚
厳島にて毛利元就に敗れた陶晴賢は、島から脱出すべく船を捜させるが、次第に追いつめられていく。
晴賢が本陣を捨ててから山中で自刃するまでを描いた作品   
あとがき

春の一夜 1 2 3
故郷郡山への帰還を控え、毛利隆元は画学に傾倒する心と、それを認めない父元就との板挟みになり、懊悩を重ねていた。たまたま訪ねて来た陶隆房に、隆元はふとその思いを打ち明ける。数年後、厳島の戦いに勝利した隆元の胸に、この夜のことが思い起こされるのだった   あとがき

遠音 1 2 3 4
厳島への出陣を控えた陶の軍勢でにぎわう岩国。盲目の娘、とよは市でひとりの武者と出会う。名も何も分からぬまま、ただその声の美しさに惹かれ、心を寄せるとよであったが、その思いは所詮、報われるはずのないものであった

夢魔草子
気鬱の病に侵された大内義隆の目の前には様々な心の闇が訪れる。心の闇は夢と現を結び、義隆を取り囲んでいく……   
あとがき

雪梅
雪の降りしきる野辺には、死者の声が渡る……
その説話に導かれて、大内義隆は雪の夜ひとり庭へと出た。雪の奏でる空音に耳を傾ける義隆の前に人影が現れる……   
あとがき

朧月(ろうげつ)
 1 2
松永久通は父久秀に招かれ、屋敷を訪れた。父の茶を喫し、数年ぶりに長閑な時を過ごす久通であったが、久秀がふと口にした「九十九髪茄子」の一言に、久通はまた、薄氷を踏む思いを味わされるのだった   
あとがき




TOP


 

 

 

 

 

inserted by FC2 system