あとがき

 「毛利元就の嫡男である……」とか、または「毛利輝元の父の……」と、常に但し書き付きで語られる毛利隆元ですが、歴史における影の薄さにも拘らず、彼に心惹かれる人は多いようです。優れた資質を持ち、事実内政に手腕を振るいながらも、隆元は武略に長けた父元就との資質の違いに苦しみ、英雄の息子として、武家の当主として、人として、自分は如何に生きるべきかという問いを繰り返し、あたかも自身の懊悩に身を滅ぼされるように、四十一歳の若さで死去します。その、戦国期の武将らしからぬ悲劇的なストイシズムが人を惹きつけるのかもしれません。毛利にはさほど食指の動かない筆者なのですが、隆元という人物にだけは惹かれるものがあります。
 この作品において筆者が描きたかったのは「悩める隆元」ですが、もう一つ、隆元の抱える潜在的な深い孤独も描きたかったものです。後半、陶隆房が屋敷に訪ねて来て、隆元は会話の流れから思わず隆房に向かって苦しい心中を吐露するのですが、隆房は後年毛利と断交し、厳島合戦で隆元に討たれる運命にある人です。そのような人物にしか、悩みを分かってもらう機会のなかったというところに、父にも兄弟にも家臣団にも正当な評価を受けなかった隆元の生涯の孤独というものを、象徴的に書いたつもりです。
 最後に画学について。隆元が山口時代に絵を学んでいたのは確かなことで、「枇杷に鷹図」(山口県指定文化財・毛利博物館蔵)始め、自画像やサギの図など三点が残っているそうです。しかし、作中のように熱心したのかどうかは不明です。「毛利隆元山口滞留日記」などの話を聞くと、むしろ熱中したのは能楽などの方であった様子もあるのですが、敢えて画学を主題に据えたのは、絵画鑑賞が好きな筆者の好みによるものです。


参考資料
毛利隆元・Wikipedia
■中国新聞「毛利元就」より「宗家安定へ「三子教訓状」 


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