人 皮 装 本

 灰色に垂れ込めた空が地表で凍てつき、冬の寒冷は富田の地を薄ら氷(うすらい)の如く取り巻いていた。その日、安芸守護代弘中隆包は陶尾張守隆房を、陶館に訪ねた。北方の山々から流れ込んで嶽山の裾野を南北に貫く富田川の、その川筋に陶館はある。季節は一月のことで、川辺には一面葦が立ち枯れて風に揉まれ、その葉音は戸という戸をたてきった館内にも、鋭いばかりに明瞭に聞こえた。冬枯れの寒さとあいまって、その寂しさはいかにも、隠居人の住まうにふさわしかった。
 隠居とは言ったものの、陶隆房はまだ三十という若さだった。加えてそれは、そもそも隆房自身の望んだものではなかった。遡って述べれば事の次第は次のようであった。八年前、出雲に尼子晴久の籠もる月山城を攻めて大敗して以来、主大内義隆は、政の一切に興味を失い、学道芸能にばかり執心する日々が続いていた。国の主が、戦もせぬばかりか政の場に姿すら見せぬとは、それ自体ゆゆしきことであったが、しかし事態はただそれのみにとどまらなかった。政、とりわけ戦に倦んだ義隆は、戦を厭うあまりしだいに、書や歌道といった学芸に秀でた者を重用して長年大内家に仕えて来た譜代の武官を疎んずるようになったのである。
 軍事が軽んぜられるということは、戦による領地の拡大が見込めぬということであり、また政において武官の発言力が弱化するということである。武官にとって義隆の態度は面白かろうはずがなく、何代にも渡り血をもって忠勤に励んで来た臣を軽んずる主を、文弱と呼んで厳しく反発した。一方文官の方ではそんな譜代衆を逆に批判した。軍事の軽視が武官に面白くないのと同様に、文官は文官で、軍事の比重が増すことは自らに都合が悪いのである。当然に義隆を擁護し、今は戦よりも内政の充実こそが大事と説き、両者の主張は交わることがなかった。
 文官は自らを文治派と称し、対する武官は自らを武断派と称し、互いに与党を募っては激しい批判を繰り広げた。そしてこの両派を率いたのが、文治派は義隆の祐筆、相良武任であり、武断派は、筆頭家老の陶隆房であった。
 家臣団の対立はこのように深まるばかりだった。加えて義隆の学芸遊興費の捻出のため課せられる重税に、家中の不満も高まっていた。こうした事態を危惧した隆房は、遂に一計を案じた。すなわち義隆に隠居を迫り、まだ幼年の嫡男、義尊を当主に擁立して打開をはかろうと画策したのである。
 家老の内藤興盛、杉重矩を始め主だった家臣、有力国人衆へ根まわしし、密かに、そして着々と計画の与同者を募っていた隆房であったが、しかしその矢先、思いもよらぬ事件が起こった。山口の町に突如として、不穏な噂が広まったのである。義隆が今八幡に参拝するところを隆房の兵が襲撃し、幽閉する計画があるというのだった。先に述べたように、当主のすげ替えこそ画策していたものの、主に刃を向けるような話は隆房にとっても寝耳に水の椿事であった。隆房は自らの潔白を義隆の前に強く弁じた。内藤興盛、杉重矩も、自身の保身のためもあって隆房を弁護し、この件は一旦は不問に付された。しかし文治派の、政敵に対する糾弾は厳しく、追及をかわし切れなくなった隆房は、事件よりふた月後の昨年十一月末、表向きは隠居を願い出るとの形を取り、しかし事実は役を解かれ山口を追われて、代々の所領地である富田に戻ったのである。
 政変のはかりごとは頓挫し、自身は失脚の憂き目を見たものの、隆房は嫡男擁立の野望を捨ててはいなかった。家臣団の対立と、重税に対する領国内の不満。このままでは、大内家は遠からず内から崩れるのではあるまいか。そして足元のぐらついたところを、隣国の尼子などに攻め込まれたならば――。
 何としても主家の政道を正さねばならぬ。そのためには政の混乱の元となっている主義隆、そして自らの保身のため政道を誤らせて悪びれるところのない、あの相良武任めを除かねばならぬと、隆房は日々焦燥の中に考えあぐねていた。弘中隆包が隆房を訪うたのは、ちょうどそんな折であった。
 隆包は所用のため領地の安芸西条に戻る途中であった。富田は、山口と安芸方面を結ぶ街道沿いであり、つまりは通り過ぎがてら立ち寄った形であったが、しかし無論、訪問の目的は機嫌伺いなどではなかった。隆包は隆房の、重要な与同者であった。山口の様子を知らせ、かつ、主君廃位の計略について談ずるため、安芸へ帰るこの機会を利用して密かに隆房の元を訪れたのである。
「――尾州殿、相良遠州殿が、筑前より戻るとの噂がある」
 通された茶室で、隆包は苦い口調で言った。相良遠州とは、武任のことである。武任は、例の事件の直後、武断派からの報復を恐れ、剃髪して山口を出奔し、筑前に守護代杉興運を頼って身を寄せていた。隆房は、先程から隆包の足労をねぎらおうと、釜をかけた炉の傍らに茶を点てていたが、その手を止め、「そうか」と濃く美しい眉をちらりと上げ、低く頷いた。
「ただの噂ではあるまい。御屋形様の膝元には、奴を呼び戻したい者たちが相も変わらず群がっておる。目障りな陶尾張守はめでたく隠居の身となり、遠州坊主をおびやかすものもなくなったことであるしな」
「呑気なことを。これを好機と見て文治派がしきりと巻き返しをはかっておるのだ。このひと月余のうちに、お主と近しかった者が既に二人、役を解かれた」
 そのことについては隆房の耳にも入っていた。隆房は黙って茶をすすめた。すすめられるまま隆包は茶碗を手に取り、両手で包んだ。道中の寒風が身にこたえていたとみえ、温もりをじっといとおしむように、ゆっくりと茶を喫した。
「御屋形様の隠居のことにせよ、若子のことにせよ、筆頭家老のお主が動けぬではやはりどうにもならぬ。己の無力が身に沁みる」
 不在を恨むような類の言葉を覗かせることはしなかったが、喫し終えた茶碗を床に戻す隆包からは苦いため息が洩れた。
「戻れる見込みはあるのか」
「下野守殿が、手を尽くしてくれてはいる」
 隆房は内藤興盛の、娘婿ならぬ孫娘婿である。隆包は頷いてみせたが、しかし眉間に漂う曇りは消えなかった。
「お主を失った痛手は小さくない。今の我らに出来るのは、武断派の力をこれ以上削がれぬようにすることだが」
 隆包の少し言いよどんだのを見て、隆房は目で先を促した。
「うむ、実は文治派有利と見て、そちらへ近づく者が仲間内から出始めておるのだ」
 隆包は幾人かの名を上げた。
「今でさえ既にこの有様だ。遠州殿が戻り文治派が盛り返せば、機を観るに敏な者らがこぞって離れることは目に見えている。これでは」
 隆包はいまいましげに語気を強めた。その声には、熟しかけていた革命の機をむざむざ逃した悔しさと、そしてそれ以上に、その逃した機はもはや取り戻せぬのではないかという焦燥が滲んでいる。
「若子をたてるどころか、文治派に政を奪われかねん」
「分かっておる。三河殿、何としても政変は成就させる。――いざという時は、わたしにも覚悟はあるのだ」
 一瞬、茶室の中がしんと静まり返った。隆包は隆房の方へ目を上げた。隆房は床に置かれた茶碗を手を伸べて取り上げ、隆包を見返した。その目に迷いのない平静を確かめたのち、隆包は今一度頷き
「お主にその覚悟があるのであれば、あとはとやかく申すまい」
 低く言った。隆房は目元にかすかに笑みを浮かべた。何の意味も持たない笑みであった。隆包もまた形ばかりの笑みを返し、その話はそこで断ち切れた。
 そして二人の会話はあたりさわりのないものへと移って行った。隆包は身内の近況や、山口の町の噂や、または正月大内館に集まった家臣団の様子などをぽつぽつと語っていたが、不意に何事が思い出したように口をつぐんだ。
「時に尾州殿、お主は人皮装本というものを聞いたことがあるか」
「何だ、それは」
「人の皮で表を綴じた本だ。異国の革装本をお主も見たことがあろう、つまりはあれを人間の皮で作ったものと思えばよい」
「いや、初めて聞く。そのような気味の悪いものを、何処より耳にした」
「耳にしたのではない、この目で見たのだ。――あれは、正月の年賀の折であったが」

                    
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