拝賀の儀のあと、領地で起こった名主同士の争いについて下知を仰ぐ必要があり、隆包は大内館西隅の書院に、義隆を訪うたのだった。小姓に案内されて私室に通されると、義隆はちょうど、膝の上に何かを抱え、せっせと拭いをかけているところであった。見ればそれは厚さ一寸程の、飴色の革で綴じられた本で、南蛮よりの渡来品であることはちらと見ただけでも隆包には分かった。スペインやポルトガルとの貿易が盛んになるのはまだもう少し先のことだったが、しかし明や、澳門(マカオ)、または琉球を通じて、ガラス細工や酒などの南蛮の物品は、既に少しずつ領国内の商人たちの手にもたらされており、それら種々の品に混じって、南蛮の革装本も隆包は目にしたことがあったのである。
 本は恐らく出入りの商人より求めたとして、しかし義隆の、それをいかにも大切そうに膝に抱える様、装丁に拭いをかけながら指先でもってあちこちまさぐるその仕種の一つ一つには、どこか偏執的な執心が彷彿とした。その様子が話をする間にも気にかかってたまらず、話がひと通り終わったのち、隆包は膝元の本について尋ねてみたのだった。そうして、その本が、推測通り南蛮のものであること、赤間関の商人下関屋からの献上であることなどと共に、「人皮装本」という耳慣れない、しかし意味を知ってみればあまりにおぞましいその名を、隆包は義隆の口から聞かされたのだった。
「これはもとは、海の向こうにある北辺の国の王が持っておったのだ」
 下関屋から聞いたという本の謂れを、義隆は語った。その、名も知らぬ国の王には寵姫があった。若く、美しかったが元来病弱であったその女人は、ふとした病が元で死の床に就くこととなった。死に臨んで姫は、王に、自らが死んだのちも傍らに侍ることを許して欲しいと懇願した。王には最初、姫の言葉の意味が分からなかった。
「案ずるな、身は二つに分かれようとも、魂は決して離れはせぬ」
 分からぬままそう言って慰めたが、姫は首を振り、魂だけでなく、愛を受けたこの肉体をもそばに置いて欲しいのだと重ねて乞うた。痩せ衰えた腕を伸ばして首を抱き、姫は王の耳元に囁いた。
「わたくしが死んだら、わたくしの皮で本を作って下さいませ。お休みの時はその枕辺に、戦に赴く時はその懐に、何時もわたくしを伴って下さいますよう」
 その夜のうちに姫は不帰の客となった。王は寵姫の望んだまま、その屍で本を作った……。
「――無論これは真実ではあるまい。美しい話ではあるが、のちになっての創作であろう。ただ、これが人皮を用いて作られた、それが作った者の妻妾であったのか、憎むべき敵であったのかは分からぬが、ともかく人の皮で出来た革装本であることは間違いのないことじゃ」
「何故に左様なことが分かりまする」
「人の皮云々などという珍奇な謂れが、何の故もなくつくとは思われぬからよ。つまりはその部分のみが真実で、人の手から手へと渡るうち、様々な空想が尾ひれとなって繋がり、今語った通りの話になったと考える方が自然ではないか」
 義隆は加えて、南蛮の国々では、人皮で本を飾ることは我々が考える程には珍しくないのだと、これまた本と共に下関屋から仕入れたらしい、人皮装本というものにまつわる幾つかの話を語って聞かせた。肌色の異なる皮を幾種類も集め、はぎ合わせて表紙に模様を作った数寄者の話、妻を亡くした歌人が、遺体の皮で自らの著述を綴じ、亡き妻への手向けとした話、ある男が、女を巡っての争いの末に片腕を切り落とされ、斬られた腕の皮で本を作り、密かに件の女に贈った話――。
「南蛮の国々にはこの手の話は枚挙にいとまがないらしい。そして実際、人皮の本というものも相当数残っておるようなのだ。その内の一冊がこの山口まで流れ着いたとて、何の不思議もあるまい」
 そう言うと、義隆は少々悪戯っぽく笑いながら隆包を手招き、本を差し出した。とくと眺めてみよということであるらしかった。渋々、隆包は受け取った。縦幅は七、八寸、横幅は六寸弱、和本よりもひと回り程大きい。その大きさもさることながら、紙綴じの本と違って表紙に木板の芯が入れてあるため、取ってみると想像以上に手に重かった。
 表紙革には見事な細工で、異国の女人像が刻まれていた。肩回りに装飾のついた衣を長く引き、小さな手が巻物のようなものを胸元に支えている。垂髪にふちどられた細おもての顔は両の目がくっきりと大きく、瞳の内には何か憂わしげな色が漂っていた。その周りには翡翠、柘榴石、蒼玉といったとりどりの宝玉が、銀の台座にはめ込まれて、あたかも守護するかに女人をぐるりと囲んでいる。そして四つの角にはそれぞれ、蔓草と刀を彫金した小さな板が打ちつけられ、本を作らせた者の家紋ではないかと、隆包は思った。
 作られてから相当の年月を経ているとみえ、本はあちこちに傷みが見えた。革はところどころがひび割れ、飴色の染料も剥がれ落ちたりしていたが、しかしほどこされた細工の出来映えは、それらの傷によっていささかも損なわれてはいなかった。それはこの本が、熟練した職人の手で如何に丹念に作られたかを忍ばせた。
 思いついて、隆包は本を開いてみた。小口の部分はほとんど真っ黒に変色していたが、中の紙は思いのほか白さを保っており、凝った飾り文字がびっしりと書き連ねてあった。ところどころに挿絵も挟まれていたが、いずれの絵も何を図説したものかは判断がつきかねた。隆包は本を閉じた。
「――と言うことは、革に手を触れてみたのだな」
 じっと話を聞いていた隆房が口を挟んだ。隆包はうむ、と頷いた。
「だが、お主も知っての通り、あの手のものは板の上に革を貼ってあるゆえ、どのようなと訊かれてもしかとは答えられぬ。ただ、細工は見事であるのに、革は良いものを使っておらぬのが惜しいとは思った。厚みがなく、かと言うてしなやかなわけでもなし。硬くごわついた手触りであった」
 隆房は少し首をかしげた。口元に整えた髭を指で撫でながら何やら思い巡らせている風であったが、「そう言えば」と顔を上げた。
「人皮鼓というものについて読んだことがある」
「鼓、とは鳴り物のか」
「そうだ。唐で昔、作った者がおったということだ。その話だが、陣太鼓には大抵牛の革を用いるのだが、その者は、確か何処かの国の将であったと記憶しているが、捕らえた敵将の皮を張ったのだ。しかし人の皮は牛革よりも薄くてきめも粗く、思うようには鳴らなかったというのだが」
「よさぬか」
 思わず、隆包は顔をしかめた。件の革装本が人の皮であるなど、隆包は信じているわけではない。しかし未だに手に生々しく残る、干からびたようにごわついた革の感触は、隆房が語った、牛革よりも薄くてきめが粗いという人皮鼓の話と心の中で変にしっくりと合致して来るようで、隆包は何とも言えぬ胸のむかつきを覚えた。急に、本に触れた両の手が穢れているように感じられてたまらず、床の間の香炉を借り、白く立ち昇る薫煙の中に手をかざし入れ、清めた。
「茶をくれ。気分が悪い」
「弘中三河守ともあろうものが、大層なうろたえぶりだな」
 隆包の様子に隆房は苦笑を洩らしたが、隆包は顔をしかめたまま、首を振った。
「お主は見ておらぬゆえ、左様なことが言えるのだ」
「おかしな話をしてすまなかったが、件の革が人間か、それとも何かの獣かなど、どのみち知る術はない。気にせぬことだ」
 心なしか顔色のすぐれなくなった隆包に、そんな役に立たぬ慰めを言って、隆房は茶を点てにかかった。
「しかしその本に何が書かれてあるものかは、わたしも少し興味がある。人の皮で装丁したなどという肩書きで世を渡って来たものに、まさか他愛もない御伽が書かれておるわけはあるまい」
「それが、下関屋にも多少異国の言葉に通じた者はおるのだが、誰も読めなかったそうだ。何でも随分昔に書かれたものらしく、言葉がまるきり違ってしまっておるのだとか」
「そうか。――まあ良い、気にかけるべきは人皮装本よりも御屋形様の方だ、全体何故、左様なものに執心しておられるものか」
「そのことだが」
 隆包は山口での話を続けた。

                 
1← INDEX →3

 
TOP  NOVELS

inserted by FC2 system