朧 月

 
座敷を立って廊下へと歩み出ると、松永久通は濡れ縁に腰を下ろして背を柱にもたせた。時折山肌をそよいでくる風は未だ幾分の寒さを伴っているものの、縁いっぱいに投げかけられる春光はちょうど心地良い暖かさに緩み、陽に温(ぬく)められた床板や柱の木面からは乾いた木の柔らかな匂いがしきりと立ち昇った。久通は、父久秀より、茶室を直したので見に来るようにとの招きを受け、この日信貴山の麓に立つ屋敷を訪れたのだった。しかし約束の刻限に訪ねてみると、久秀は急ぎしたためる書状の用ができたとのことで、久通はしばらく座敷に待たされることになった。今しがたまでは、茶坊主の某という者がそばに控え、所蔵の茶道具を見せたり、またそれらにまつわる謂われを語ったりなどして相手をしてくれていたのだが、そして話も興味深くはあったのだが、元来、膝を乗り出し目の色を変えて耳を傾けるほどに茶の湯に傾倒しているわけでもない久通であったから、小半刻も経つとすっかり退屈してしまい、一人庭でも眺めて待つ方が楽だと、坊主を下がらせて縁側に出て来たのである。
 久秀が丹精させた庭園は、信貴山の山襞より流れ下った渓流を引き込んで池とし、長々と横たわる水の東には築山が大きく築かれてあった。先日まで続いていた春雨の恵みで若枝が一斉に萌え伸びた、苔や、灌木の丸い植え込みが水辺をぐるりと縁取る池の広いみなもには陽光が静かにさざ波立っていた。波の寄せる先には築山の裾がある。枯滝組を中心に大小の石組が組まれ、松やツツジ、楓を始め四季折々の樹木が彩を添える斜面には、今は木蓮が盛りだった。天女の裳裾のひだのような花弁をほろほろと白く咲きほころばせ、堅牢な石組の陰に身をひそめて一本二本、ひっそりと佇む有様は、さながら深山幽谷、未だ人の踏み入らぬ処女峰の春景に迷い込んだ心地がし、澄みきった静寂の境地に久通を誘うのだった。
 久秀は待てども一向に姿を現す気配がなかった。頭上にかかる日の傾きから計るに、久通が屋敷を訪れてからゆうに一刻は経っており、急ぎ片付けねばならぬというその書状がいかに煩多なものであったとて、これほどに手間取るとは到底思えないのだが、
『何、父上のことだ。どうせ政務を片付けつつ、傍らの花御前と戯れておるのであろう。書状一通仕上げるのに半日かかっても無理はないわ』
 半年前、城下一の舞の名手との評判を耳にして屋敷に召し出して以来、久秀がすっかりのぼせ上がって昼夜の区別なくそばに侍らせ寵愛しているという、その美姫の顔を浮かべつつ久通は心中毒づいたのだったが、しかし身に染み渡る陽光の心地良さの中にあっては、いつものように腹を立てる気にはあまりなれなかった。仰ぐ彼方には穏やかな春空が漂っている。細く白雲のたなびく淡い青色の上にはひときわ高く伸びた樹木の梢がくっきりとした黒い影を描き、そのみずみずしい彩りの対比が目を洗うかのようだった。久通はほう、と安堵の太いため息を洩らした。これほどに穏やかな心持ちで季節の景観を楽しむのは、いったい何年振りのことであろうかと、しみじみと思い巡らしたその心境も無理からぬこと、この数年の久通は自らの尻ぬぐいに忙しく、休むいとまとてなかったのである。
 それは、五年前に父久秀と共に企て、しかし結局は失敗に終わった、主織田信長に対する謀反の尻ぬぐいだった。これは、当時信長と反目を強めていた将軍足利義昭が発した信長討伐令に応じたのだったが、かつて敵対した義昭(久秀はかつての主三好長慶と共に義昭の兄義輝を暗殺し、義昭を幽閉したことがある)と手を組む気になったのは、与同者の中に甲斐の武田信玄が加わっていたからに他ならなかった。甲斐武田軍と言えば日の本最強の誉れが高く、大山がひとたび鳴動して西進するならば、いかに勢力の勃興著しい信長と言えどもひとたまりもなく京から追い落とされるであろうというのが、世の大方の見方であり、久秀もまたそのように見ていた。
 足利義昭を奉じて信長が上洛して来るや、真っ先に膝を屈してその軍門に下ったそのくせ、久秀は織田軍の一翼として甲斐の最強武士団と槍を交える道理などないと思っている。むしろ武田と早々によしみを通じて、良き待遇を得るこそが道義と考えた。信玄の家臣である小幡信実という者を通じて同盟の密書を送り、武田家中において別格に処遇するとの返答を得るや、久秀はたちまち朝倉義景、浅井長政、または三好義継らに続き、主家への叛意をあらわにした。領国大和において挙兵し、筒井順慶を始めとする国内の敵対勢力を駆逐しながら、新しい主の上洛を今や遅しと待ちかまえていた久秀であったが、元亀三年(一五七二)十二月、思いがけず戦況が一変した。近江において織田軍と膠着していた朝倉義景が、信長が岐阜に退くに合わせ、兵の疲労を理由に領土の越前へ撤兵したというのだった。折りしも信玄はわずかにふた月前に甲斐を発って織田・徳川領に至り、敵の諸城を次々と落とし進軍していた矢先のことであり、裏切りも同然の離脱だった。
『このまま義昭に与するのは危うい』
 朝倉撤退の報に激怒した信玄が越前一乗谷に抗議の書状を送りつけたりしているその一方で、仏頂面の眉間に鋭いしわを深々と彫り込みながら、久秀は真っ先に己れの保身を考えていた。そもそも、数の上では同盟者の誰も、織田軍に対抗できる兵力は有していないのであった。それゆえ、個々の叛乱軍が各地で一斉に蜂起して織田の兵力を分散させ、力を削ごうというのが足利義昭の狙いだったのだが、朝倉が離脱し包囲網の一角が破れたとなると、信長は軍勢を容易にひと所に集中できることになる。そしてその矛先がもしもこの大和に向けられたならば……。
『引け際じゃ』
 信長に背いた時と同じ素早さで、久秀は、今度は義昭と信玄への裏切りを決めた。一旦腹を決めると、翌月の元亀四年一月にはもう、宝刀「不動国行の太刀」を携えて岐阜城に赴き、信長の前に恭順を示した。結局この年のうちに信玄は病没し、朝倉、浅井、三好は攻め滅ぼされ、足利義昭は京を追われ、反信長勢力は見る影もなく叩き潰されたのだったが、早い降伏のおかげか、堺という経済の中心地に影響力を持つ久秀を切り捨てるのは得策ではないと信長が判断したためか、またははその両方か、ともかく唯松永家のみは、大和守護の地位こそ失ったものの命を存(ながら)えることができたのだった。
「先見の明というやつじゃな」
 信貴山城で、浅井久政、長政父子や朝倉義景らかつての盟友の末路を風に聞きながら、久秀はそう言ってひとり悦に入っていたが、しかし当主として事後処理に奔走しなければならなくなった久通の方は、それどころではない。(久秀は表向きには永禄五年(一五六二)、久通に家督を譲っている)背反を許した代償として信長は幾度となく派兵を要請して来るし、久通より接収した多聞城の破却を近々命じられるらしいという噂もあり、その一方で、松永家の弱体化を避けるため、せめても大和国内に所領地を確保しようと、久通はあれこれと知恵を絞らねばならなかった。新しく大和守護に任じられた原田備中守直政に働きかけ、大和豪族十市氏の、当主遠勝が没したのち嗣子がなくて相続が宙に浮いていた領地を、原田直政、久通、それから遠勝の娘の三人で三分割して治めるという朱印状を書かせたのち、件の娘を己れの後添えにしてみたり、または大和十市郷の所領を巡ってのくじ引きに加わった時は、参加者に前もって賂(まいない)を贈り、土地が松永家の領有となるよう細工してみたり、身も細る思いで裏工作に立ち回った。全ては身から出た錆と言われればそれまでだが、実のところ押し切られる形で従ったものの、久通はそもそも謀反には乗り気ではなく、思いとどまるよう最後まで父に諫言していたのであったから、戦さも含め一連の苦労は文字通り全くの骨折り損であったというのが、偽らざる気持ちなのだった。
「……殿、大殿様がお見えになりました」
 この数年の出来事を、種々思うともなく思い返すうちいつしかうつらうつらしていた久通の元に、小姓の軽やかな衣擦れが近づき、袖が引かれた。襟元を整え座敷に戻ると、程なくしてようやく廊下に久秀の姿が見えた。一昨年入道して剃りこぼった頭を脂でぎらつかせて入って来るや、
「おお久通、よう参った」
 と言ったが、それきり、さんざん待たせた非礼は詫びる風もなかった。
 ひと通り挨拶が済むと、久通は早速新しい茶室に案内された。庭園の池からは更に細流が引かれ庭の木々の間を縫っており、その流れに添うて置かれた飛び石を踏んでやがて二人はもの寂びた作りの庵に出た。今まで傍らを流れていた細流はここで再び小さな池を成して床下の一角に深く入り込み、湖面に浮かぶ中島の如き面立ちを庵に与えていた。ひんやりと薄暗い四畳半ばかりの茶室は、床の間の一隅だけが、耳付きの花入れに活けられた菜の花の黄のせいでほんのりと明るく、その薄暗い中に建材の木や竹の匂いが未だ混じり切らずに生々しく立ち込めているのがいかにも新築らしい雰囲気だと久通は思った。
「御なえ殿は如何しておる。患ったと耳にしたが」
 炉に釜を乗せ湯が沸くのを待つ間、久秀はふと思い出したように尋ねた。
「いや、多聞院殿より送って頂いた薬がたいそう効いて、すっかり良くなりました。御心配をおかけ致しました」
「そうか、それは祝着じゃった」
 御なえ、とは久通の現在の妻で、久通の工作により、相続した父の遺領を持参金に久通の元へ嫁ぐことになったという、前述の婦人である。いかにも見え透いた、所領目当ての婚姻の申し出を御なえが受けたのは、この婚姻で大和一円に未だ力を持つ松永家の庇護を得、嫡流の断絶した十市家を守ろうという一心であったのだが、しかし祝言してみれば、久通は性質にこれといったアクも持っていなかったし、あの松永弾正が舅ということを除けば家の中に気に病むようなことも特になかったし、そういうわけで、打算ずくめで一緒になった割には、久通と御なえの仲は睦まじいとは行かずともとりあえず平穏であった。
「病と聞いた時は、もしや赤子かと密かに期待したのじゃが」
 久秀は無念そうに口中でもぐもぐと愚痴った。鼻孔からふっと嘆息を洩らし、そのあと急にむず痒さを覚えたのか口髭を爪でしきりと掻きまわしていたが、つと二本の指先を鼻孔に押しあてて鼻毛を抜き取り、指をはじいて炉にくべた。ちりちりと音を立てて一瞬昇った煙に、久通は思わずぎょっと身を引きかけて釜に目を走らせたが、幸い釜の蓋はまだ閉じていた。
「ほれ、お主の祝言には原田備中守始め幾人か異を唱えておったであろう」
「まあ、やり方が少々露骨でしたからね、致し方ありますまい」
「ところがじゃ。世の中というものは、よほどキナ臭いと言うか、後ろ暗い夫婦であろうとも、子が生まれてしまえば自然と口をつぐむものでな。今後、備中守やら、先程名が出た多聞院やらにへたな口出しされる隙を与えぬためにも、男でも女でもよい、松永と十市の血を引く子が生まれてくれれば万々歳なのじゃ。それらしい兆しはないのか」
「いや、それは。しかし、今の話は私も賛同致しますが、御なえもあの年ですし、赤子は少々……」
「何を言うか。まだ三十路前であろうが。三十路を幾つも過ぎた身で赤子を産み落とす者すら世の中には多くいる。あのおなごは体も弱くはあるまい。美味いものをたらふく食わせて肉置きを実らせ、あとは播種(はしゅ)に手を抜かねば……」
「父上、牛か馬ではないのですから」
 不快そうに手を振って久通は父の言葉を遮った。といって、心中では久通も御なえが自分の子を身籠ってくれることを強く願っている。父が今しがた語ったようなこととは別に、縁、とは言っても相当にいびつな縁であるが、やはり何かしらの縁があって夫婦になったのだから、縁の結実として世に生まれ落ちた我が子を間に置いて、夫婦心を通わせつつその縁を育てて行けたならばと思うのである。久秀はまだ何か言い足したい様子だったが、折り良く釜の湯が沸き上がって、そこでこの話は沙汰止みになった。

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