あとがき

 作品に登場する松永久秀・久通父子にはモデルがあり、それは小説家の葛西善蔵・嘉村磯多(両方とも筆者の好きな作家です)の師弟コンビです。もともと、久秀と久通を全く正反対の性格に設定し、傍若無人の父親に息子久通が振り回されて閉口するような話をショートコントのように書いてみたいと思っていたのですが、それにしてもこの、松永とはまるで無関係の二人をモデルにしようと思いついたきっかけは、嘉村の「足相撲」という短編でした。これは嘉村がまだ雑誌記者をしていた時代の話で、ある日嘉村は葛西(作中ではZ・K氏)の口述筆記の手伝いとして自宅に通うことになります。葛西の酒癖と原稿の遅延に悩まされ、しかしその人間性に惹かれたりもしつつ、ようやく脱稿に漕ぎつけます。原稿料受領の挨拶に訪れた嘉村は、酒の席で足相撲で葛西を負かし、密かに溜飲を下げるのです。葛西の人でなし振りを描写する筆には辛辣さと共に師への情愛が感じられ、妙なおかしさを誘う小説です。ここで描かれる葛西と嘉村のやりとりが、筆者が頭の中に漠然と思い描いていた久秀・久通のイメージとまさにぴったりで、登場人物の性格に加え、筋の運びなどまで「足相撲」に借りて、作品を書くことにしたのでした。反省点としては、久秀のやりたい放題な性格があまり出ておらず、むしろ理性的な人間という感じになってしまったところでしょうか。久秀はアクの強い逸話が色々あるのに、生かしきれませんでした。作品は最後、久通が漠とした暗い予感に打ちのめされて終わりますが、これは嘉村の小説の持つ性格に影響されたものです。
 嘉村の小説は「私小説の極北」と評され、人生の暗部(結婚の失敗や、妻子を捨てて恋人と駆け落ちしたことなど)の赤裸々な告白と、背負った罪業への破滅的な懺悔という、暗く、厳しい性質を持っています。が、前述の「足相撲」と、そして「七月二十二日の夜」という二作品については、そういった特徴はあまり見られず、むしろ軽やかなユーモアすら見て取れます。これらは両方とも、葛西を題材にして書かれた作品であり、その点は注目すべき事と思います。自己の内面というテーマから離れてみると、嘉村は、潜在的にはもっと多彩な作風を持っていたのではないでしょうか。長生きしていたならばどんな作品を残していただろうかと、筆者が残念に思う作家の一人です。

追記
小和田哲男「戦国の城」によると、いわゆる「城」とはあくまで戦の時の砦であり、武将は普段は平地の館に居住していたとのこと。それをふまえ、舞台を「信貴山城」から信貴山山麓の館に移して、一部書き直しました。



参考資料
■永原慶二「日本の歴史14 戦国の動乱」 小学館
■杉山博「日本の歴史11 戦国大名」 中央公論社
■小和田哲男「戦国の城」 学研新書

■「戦国浪漫」より「松永久秀
■Wikipedia
九十九髪茄子
信貴山城
多聞山城
信貴山城
多聞山城
管理人46(しろ)氏による城跡紹介のサイト「
ザ・登城」より
松永氏のルーツ・松永久秀 
松永氏のルーツ・松永長頼・久通
共に、紀氏のルーツ研究会・松永美智子氏編纂のサイト「
紀氏のルーツ」内「紀朝臣松永=真済僧正の後裔松永氏のルーツ」より
嘉村磯多・Wikipedia
葛西善蔵・Wikipedia
嘉村磯多「足相撲」


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