柵にもたれて話し込まれている御屋形様に気づいたわたくしは、涼むのをやめそのまま戻ることに致しました。無礼講の宴の席とは申せ、汗まみれのむさ苦しいなりを現すのは如何にもぶしつけと思ったのでございます。そっとくびすを返し来た道を引き返そうとした時、
「隆世、勝山の城はいつ落ちる」
 御屋形様の声が聞こえ、わたくしは思わず足を止めました。
「さていつになりましょうか」
 隆世様が答えました。剽げてでもいるような呑気な口振りでございました。その呑気な声音のまま、隆世様は言葉を継ぎました。
「御屋形様もご存知の如く、この城は四方を険しき山に守られた天然の要害にございます。矢弾、玉薬、兵糧も充分にございます。それゆえあとは兵の士気しだいということになりましょう。士気さえ高ければ一年でも持ちこたえられまする。なれど士気が折れてしまえば、明日にでも陥落かと」
 隆世様の申される通りでございました。実のところ、山口を捨てることが決まった辺りから、我々には負け戦が日に日に色濃く見え始めておりました。安芸と石見と、二方から囲む毛利に抗し得るだけの兵力は、既に大内にはございませんでした。そして豊後大友家よりの援軍も望むべくもございませんでした。幾たびにも渡る御屋形様の要請にも拘らず、ここに至っても令兄の義鎮様は兵を動かす気配すらなく、裏で毛利と結んだものと見て誤りはなさそうでございました。もはやこの頃には勝ち負けではなく、城が落ちるのはいつかというところまで来ていたのでございます。
「ははは、明日か」
 と御屋形様は、しかし声をたてて笑われました。隆世様の言葉を心底愉快がっておいでのような、軽やかに弾んだ笑声でございました。葉叢の陰からそっと窺うと、御屋形様は、横木に手を掛けられ身を乗り出すようにして、空を見上げておいででした。その横顔が、こちらから見えておりました。そうして宙高くを見上げた目に、さっと光のみなぎったと思うと、
「いつ落ちようが、わたしは構わぬ」
 一言、力強くそう申されました。
「わたしの命が明日尽きるさだめであるならば、それもよい。また一年ののちであるならば、待つ愉しみが出来るというものだ」
「命など惜しみますまい。この世の森羅万象悉くは所詮夢にござりまする。全ては夢の中から参って我々の前に束の間、かりそめのうつつとなり、しかし過ぎ去ったのちは再び夢に戻るのでございます。このいくさも夢、毛利も、周防も夢、何を惜しむことがございましょう」
「我が大内家もまた、泡沫の夢であるな」
 そう申されて再び、御屋形様は愉しげに笑われました。隆世様はそんな御屋形様を優しげな笑みを浮かべて見つめておられました。けだるい陽光の中に、笑んだ唇が紅の花となって浮かんでおりました。彼方には周防灘の海原が、波頭をまばゆく騒がせておりました。
 わたくしは皆々の声を背後に小さく聞きながら、踏みしだいた草の香の中に立ち尽くしておりました。自らのお命をすっかり見切ってしまわれた御屋形様の言葉に、身がすくんでしまったせいもございます。がしかしそれ以上に、わたくしは、おふたりの間に流れていた、語る言葉とは裏腹の明るさをたたえた静穏に、心打たれていたのでございました。
 全てが過ぎた今、分かることがございます。御屋形様と隆世様の間にはあの時既に、勝山落城の日には手に手を取って共に死に赴こうという誓いがかわされていたのではございますまいか。申しましたように、城は遅かれ早かれ陥落が見えておりました。隆世様と共に戦い、生きることよりも、共に死ぬことこそがもはや御屋形様の唯一の願いであり、むしろその日を憧れをもって待ちわびるような、そのようなお心になっておられたのでございましょう。その願いは、それきり叶うことなく虚しくなったのでございましたが――。


 明け方の主郭にて、御屋形様は柵にじっと身をもたせたまま、長いこと、日の高くなるにつれ眼下に様々と色あいを変じてゆく林野や山々を、目に映じておられました。海はその間中、ずっと穏やかでございました。人は波の立たぬ海を喜びまするが、まこと左様でございましょうか。波頭の一片も見えぬ海は如何にも寂しゅうございます。命も、時の流れすらも絶え果てたような、風音もなく、波音もなく、ただ碧いばかりの海は物悲しゅうございます。これはわたくしの心に、あの宴の日に主郭からのぞんだ波の輝く周防灘の海原が、強く灼きついているせいでありましょうか。
 そうして、そのまま二刻以上も時を過ごした頃
「御屋形様――」
 遠くに呼ばわる声がして、土橋の方から人影が駆け上がって参りました。
「そろそろ館にお戻り下さい。じき駕籠の仕度が整いまするゆえ」
 急な山道を急ぎ駆けて参ったのでございましょう、肩で荒い息をつきながらそう言いました。御屋形様は頷かれて
「相分かった、すぐ参る」
 とご返事なされました。わたくしは、御屋形様がお目覚めから何も召し上がっておられないことに気づき、その者が一礼して戻りかけたところを呼び止め、朝げの用意をしておくよう申しました。が、御屋形様は、いや、朝げはよい、とわたくしの言葉を遮られました。
「ですが、御屋形様は昨夜も、あまり量を召し上がってはおられませんでした。ご気分がすぐれないのでございましたら、せめて葛湯なりと召し上がって下さいませ。お体に障りまするゆえ」
「何、そうではない、ただ今日は腹を空にしておきたいのだよ。心配をかけたな」
 御屋形様は口元に笑みを浮かべ、わたくしの肩の辺りをいたわるように掌でさすられました。重ねて強いるのもためらわれ、また御屋形様の申されたことの意味がよく呑み込めなかったわたくしは、ただ曖昧な返事をしたばかりでございました。
 くびすを返し、御屋形様はすぐに主郭を下りられました。勝山より一里ばかり南へ下った長福寺に、御屋形様は今日のうちに身を移されることとなっていたのでございます。わたくしも、供することを許されておりました。
 ――山遊びの思い出を追うあまり語るのを忘れておりました。左様でございます。勝山城は開城と相成ったのでございます。
 一昨日でございました。青山の出郭に毛利より、和睦を求める矢文が、投げ込まれたのでございます。和睦の条件は次の通りでございました。勝山城を明け渡すこと。城主内藤隆世は逆臣陶晴賢の親族であるために、同様に謀反人とみなす、よって腹を斬ること。ただし当主大内義長については、晴賢らに擁立されただけであるため罪は問わず、助命し実家である大友家に送り届けること。
 軍評定の席にわたくしはおりませんでしたから、どのようなやり取りがなされたものかくわしくは知りませぬ。ただ、最後まで戦いたいと訴えた御屋形様に対し、諸将の間には、御屋形様のお命が何よりの大事と、和睦を唱える声の方が多かったそうでございます。そして何より、隆世様が、和議を容れるよう、御屋形様に説かれたのだそうでございます。
 その夜、御屋形様は部屋に隆世様をお呼びになりました。雨戸を開け放ち、縁先に簡単な酒の膳を用意させ、傍らの灯明に照らされ闇間にうっすらと浮かび上がる庭の景色を眺めながら、御屋形様は隆世様を待っておられました。月もない夜の中に、城山の全体が、何か物凄いばかりに静まり返っておりました。まだ夜更けという程の刻限でもなく、常ならば雑兵どもの陣小屋の集まっている盆地の方から、何やかやと騒ぐ声が聞こえるのでありましたが、恐らく毛利より書状の届いたことは既に城じゅうの耳に入っていたのでありましょう、その夜に限ってはそういった物音は唯の一つも聞こえて参りませんでした。
 昼のうちは、ともすれば汗ばむほどの日もございましたが、しかし日が落ちたのちは、勝山は未だに寒うございました。殊にこの夜は、城山を覆う静けさがそのまま寒さとなったような、何とも言えぬ底冷えが肌身に沁みました。隆世様はじきに参られ、御屋形様はわたくしに人払いを命じられました。部屋を下がりしな、わたくしは隆世様の方をそっと窺いましたが、その様子は御屋形様と座談するために訪う普段と何ひとつ変わりなく、しかしそこに隆世様の決意のほどが表れておりますようで、部屋を下がり暗い廊下をひとり歩みながら、わたくしは心に、と申しますよりは肉の一筋一筋に、切るような痛みの走るのをどうすることも出来ませんでした。
 勿論のこと御屋形様は、自害を思いとどまるよう説得するため、隆世様を呼んだのでございます。けれど如何にお言葉を尽くされようとも、隆世様の心を翻すことは出来なかったのでございました。翌日、つまり昨日のことになりまする、隆世様は御屋形様に慌ただしく別れを告げられますと、そのまま、毛利方の検使役の前で自害なされたのでした。

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