御屋形様の話に戻ることと致します。館に着きますと、御屋形様は小姓らを集め身仕舞いにかかられました。帯を取り、小袖から下帯から全て解かれ、素裸になりました。手伝わせて真新しい下着を着けているところへ、お召しものが運ばれて参りました。ぬめるような練り絹の布で仕立てられた素襖でございます。つややかな銀鼠に染め上げた衣の、胸元と裾には金糸で観世水の文様がこまごまと描かれ、翻る度におもてに光の流水が浮かびます。何とも豪奢なお召しものでございました。
 二人がかりで広げますと、薫き染めてあった沈香の香りが、それこそ溢るる水のように部屋を満たしました。後ろへ回って着せ掛けますと、衣は意志あるものの如くに御屋形様の肩へつるりと纏いつきました。香油を塗り込んだ櫛で髪を梳き直させ、頬に薄く紅おしろいを差しました。これらは全て昨夜のうちに、衣装はこれを、薫く香はこれをと、一つ一つ示しながら御屋形様が手ずから、用意させたのでございます。最後に伽羅の小片を、口中に含まれました。
「――参ろう」
 滴るばかりの貴公子の装いを凝らして、御屋形様はお立ちになりました。静かに歩み出しますと、酔う程の香が、あたかも影の慕うが如くに、あとに付き従いました。廊下を進み館を出ると、諸将の方々がもう、駕籠の周りに集まっておられました。御屋形様のお姿を認めると、一斉に視線を落とし小さくこうべを垂れました。言うべき言葉を失っているようでもあり、御屋形様のお言葉を待っているようでもありました。
 と、その中から急に、備前守様が、崩折れるようにがっくりと地に片膝をつかれました。太い腕で顔を覆い、声は聞こえませぬが泣いておられるようでございました。備前守様は最後まで開城に異を唱えられたおひとりでございましたから、城を去られる御屋形様のお姿がとりわけ、堪え難きものであったのでございましょう。御屋形様は備前守様の方へ歩み寄られました。肩に手を置き、身を屈めると低い声で二言、三言、何事か申されました。小さな啜り泣きの声がおちこちに広がりました。
 身を起こし、あとは一言も発せられず、居並んだ諸将らひとりひとりにじっとまなざしを注がれたのち、わずかな供を連れて御屋形様は、長福寺へと向かう駕籠の人となられたのでございました。
 それからのことは手短にお話し致します。我々が長福寺に着き、一刻ばかりも過ぎた頃、毛利より使者が参りました。福原貞俊殿ではなく、毛利元就殿の使者でございました。その者は元就殿の意向であるとして、御屋形様に、「ご辞世致し賜りたく」と告げたのでございます。場は騒然となりました。無理もございません。御屋形様の助命が、和睦の条件であったはずでございました。そしてそれと引きかえに、隆世様は腹を斬られたはずでございました。宿老の野上房忠様などは、やむを得ぬとは申せ、はたちそこそこの隆世様に詰め腹斬らせたことに心を痛めておいででしたから、
「腹を斬らせたそのうえ、恥知らずにも約定をたがえて騙し討ちにするとは、もののふの、いや人のすることか」
 と鬼の形相で斬り捨てんばかりに使者に詰め寄りさえしました。しかし、唯御屋形様だけは、うろたえた様子をお見せになりませんでした。眉ひとつ動かさず皆を押しなだめると、
「身を清めたい。仕度せよ」
 一言、命じられました。その時、わたくしは気づいたのでございます。主郭で、御屋形様は朝げはいらぬと申されました。腹を空にしておきたいのだと。あれは、御腹を召される用意であったのではございますまいか。自らの命がどのみち助からぬと、御屋形様は知っておられたに相違ございません。
 今となっては申しても詮なきことなれど、毛利よりの助命の申し出を、我々は疑ってかかるべきでございました。先に申しました通り、元就殿は、陶様隆世様、ひいては御屋形様までもを、先代義隆公を弑した罪人と断じ、仇討ちと申して周防を攻めたのでございますが、しかしまことの狙いは、義隆公の正統の跡継ぎを名乗り大内の領地を我がものとすることにございました。そうである以上、御屋形様の、大内家嫡流のお血筋は、元就殿にとってのちのちの禍根の種でございます。そのような御屋形様を、元就殿ほどの智恵者が果たして生かしておきましょうか。
 しかもかつて、元就殿はこれと全く同じ非道を、なさったことがあったのでございました。二年前の秋でございます。陶方の出城であった安芸の矢野保木城が、毛利の軍勢に攻められ落城致しました。その際元就殿は、刀を捨て降伏した城兵をとある寺に押し込め、しかるのちに寺を刃で囲み、皆殺しに及びました。また援軍として入っていた周防衆の兵は、国へ送り届けると言って騙され、道も半ばにさしかかった所で、伏せおかれていた毛利の手の者に残らず討ち取られました。このようなむごきことが、かつてあったのでございます。
 皆も忘れていたわけではございますまい。けれども我々には、九割方諦めていた御屋形様のお命が助かったという気の緩みがございました。そして何より、かたくなな思い込みがございました。大内家は数百年来の名家であり、もともとは毛利の主家でございます。その大内の当主をよもや騙し討ちにする腹があろうとは、誰も、思いもよらぬことだったのでございました。我々は言わば、大内の名を盲のように信じたのでございます。そして隆世様もまた、それに目を曇らされ、最後の最後に、元就殿という人間を見誤ったのでございました。その中にあって唯御屋形のみが、自らの血を見限っておられたとは皮肉と申すより他ございません。
 ここに、御屋形様の辞世がございます。

 誘ふとて なにか恨みん 時来ては
 嵐のほかに 花もこそ散れ

 しかしこれは毛利とのいくさが始まった頃、御屋形様がまだ山口に居られました時に詠みおかれたもので、もう一首、つい先程湯あみの仕度を待つ間に急ぎ筆を引き寄せ書きつけたものがあるのでございます。

 玉の緒よ 幾世経るとも 繰返せ
 なおおだまきに 掛けて恨みん

 この歌を、わたくしは密かに寺の者に託そうと思うております。辛き心の内は何ひとつ洩らさぬままに去られた御屋形様でございました。この歌が失われることなく残ったならば、のちの世には御屋形様のご無念を汲んで下さる者もおりましょう。今はそれのみ、願うしだいでございます。
 わたくしはこれから御屋形様のお供を仕りまする。御屋形様は今頃、闇の道を隆世様を追い、足を急がせておりましょう。この世の悉くは夢であると隆世様は申されました。全ては夢の世から至り、束の間うつつとなってのちは、過ぎ去って再び夢に戻るのだと。晩春の陽光が寺の庭に注いでおります。ツツジの、山吹の、椿の、花々は目も綾に咲き乱れ、刺す程にまばゆい光の中に燃え落ちて行くようでございます。ただ、光ばかり。毛利のつわものどもが囲んでいるはずであるのに、何の物音も致しませぬ。皆々、成り行きを窺い、声を殺し息をひそめておるのでございましょうか。それともわたくし自身が、既にいつしか夢の世に踏み惑うたのでございましょうか。今はもう、勝山に人は絶えておりましょう。御屋形様の立っておられた主郭にも仄めく影すらなく、この、澄みきった光だけが溢るるばかりに降り注いでおりましょう。風の音も、葉叢のひそやかな囁きすらも聞こえませぬ。ただ晩春の美しき陽光ばかりでございます。長き栄華を見た大内家がとこしえに夢の中へと去る、それにふさわしい日ではございますまいか。

―了―
                3← INDEX →あとがき

TOP  NOVELS

 

inserted by FC2 system